I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

記憶には残らぬ今日を生きている子にふくませる一匙の粥 俵万智

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仕事では、お食い初めならぬお食い締めに関わることが多くある。

病気や老衰によって「これ以上食べたり飲んだりしたら危険」と評価する仕事をしているのだ。

 

本人に食べる意思が全くないのなら安全を考慮して食事はもう終了としても良心はそこまで痛まないのだけど、

肺の画像が9割真っ白になっていて呼吸もやっとの方が、「それでも食べたい、お願いします」と訴えられると、その人の人生の食事を奪ってしまうことに改めて気付かされ本当に残酷なことをしているなと実感させられる。

 

私の仕事でさえこれなのに、医者や看護師など本当に医療の最前線かつ責任をほぼ全て負うよな仕事につかれている人達の心労はどんなものなのだろう。

 

自分の無力感のようなものに潰されないのだろうか。だからこそ勉強で鎧を作って自分を守るんだろうか。

 

もちろん食事を始めて少しずつ良くなっていく人もたくさんいる。

食べるスピードも量もは健常な方と比べるとゆっくりだし少ないのだけど、良くなっていく過程は嬉しい。

食事介助をしていると、注意障害などがある方は遅々として進まない。小さじ一杯を食べるのに一分以上かかったりもする。

口に含ませて嚥下反射が惹起されるまでの間、その人の顔を見ながら

「この人も赤ちゃんの頃、親にこうやって食べさして貰ったんだろうなぁ、赤ちゃんの頃があったんだなぁ」と不思議な気持ちになる。

 

当たり前なのだけど、毎日多くの患者さんと関わる時に、このことを忘れちゃいけないのだと思った。

どこかで生まれて大切に育てられたこと、その人の人生を歩いてこられたこと、その人の人生に関わること。

もちろん「こんなまずい飯食えん!」と怒鳴られたり、病気のせいで気持ちがうまく話せない・感情失禁によって怒りをぶつけられることも多くあるけど、聖人のような人でありたいわ

 

追記 あまりにも勉強に身が入らんので可愛いシールを買った。勉強できたらシールを日記に貼ることにする

 

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人生最後のご馳走 (幻冬舎文庫)

人の最後の食事をこんなにも暖かく工夫しながら提供出来る病院ってすごいよなぁと思った