I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

とりとめもなく書くぞ

・写真が溜まってきたらフォトアルバムを作るようにしている。こないだ18冊目が出来上がった。

 震災に関する本を読んでいた時、「スマホや携帯電話、パソコンにある写真をなぜ現像しておかなかったのか」という後悔が多かったという旨の文を読んだ。気軽に写真を撮れる今だからこそ、現像までやることにまた意味があるのだろうなと思う。

 

・人類が滅亡し、何かしらの生物が人間の使っていたものを見つけ考古学的に分析して復元する時のことも時々考える。

 例えば日本が滅亡した時に、郵便配達員の頭脳を取り出せたらきっと、日本の地図とそこに住む人々のフルネームはなんとなく復元できると思う。

 世界が滅亡した時には、例えば携帯電話やカメラやスマホの写真フォルダを分析すると

 世界のある地域では一年に一度の早朝だけ日の出の写真が多く出現していて(初日の出のこと)、何か意味があったのかなぁとその謎の生物の考古学者は考えたりすると思う。

 

・イタリアについての本を読んでいた時、ミラノ中央駅のプラットフォーム21番は封鎖されている、と書いてあった。過去、そこからアウシュヴィッツに行く列車が出発したとのことであった。

 

・何で読んだか忘れたけど、子供を多く産むとなると、身体の栄養を分け与えてしまうので、腰のとても曲がったおばあちゃんになる、みたいなのを読んだ。確かに私が小さい頃は、道でよく腰の曲がったおばあちゃんがシルバーカーを使用して歩いていたのを見た。あれは、(確証はないけれど)栄養を分け与えた人たちの証というようなものだったのかなあと思う。

 医療の発達、1人あたりが生む人数の減少、栄養の知識などから、ああやって腰の深く曲がったおばあちゃんはいなくなるのかもしれない

 

・かか という本を読んだ。衝撃的だった。

自分の赤ちゃんと出会うのになぜ男との性交が必要なんだ、みたいな文が心に残った

 

・なんかブローチにハマってしまった。

特につけていく場所もないのに、だ。これがたまたまブローチだから欲しいのか、それともブローチだから欲しくなるのか分からなかなってきた。

なので一旦これ以上は買わない、と決めた。どうなるかな。意志がとても弱いのでまた買いそう。

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・先日ブラジル料理のビュッフェに行った。みたことない飲み物とか食べ物をたくさん摂取できた。カシューナッツの実のほうのジュースとか!ブラジルのお祭りで食べるピーナツのお菓子とか。

 

・何かしらを享受している時「私はフィンランド語を無料で使うことができる。フィンランド語を使ったからといって、税金を納める必要はない。言葉は全ての人への贈り物だ。」という言葉を思い出す。

世界は本来はとても開かれているものだと思う。

 

・数冊の本を読んでて少し関わりがあるなぁと思ったこと。

本売りを生業にしていた人の子達が「本に育てられた」、棕櫚を原料にさまざまなものを作っていた人たちは「棕櫚に育てられた」、とある漫画ではりんごで生計をたてていて「自然に育ててもらった」

 何かで生計を立てる時、それに「生かされる、育てられる」と表現するのがいいなぁと思った

 

◼️アルバムの本

 

 

◼️イタリアの山奥の本売りの話

 

◼️読んで「すげぇ…」と思った本

 

◼️世界は開かれていると感じる本

 

◼️何に育ててもろてるかという本