I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

芸術は“視点”を取り入れるものだからつまりは哲学に近いのか?

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ごく短い旅行ではあったけど、豊島と直島に行って来た。

調べる力があまりないので瀬戸内国際芸術祭の期間中だったことを知らず「やべ、人が多い時にいっちゃったぜ」というのが失敗だったけど

今回は三つの作品が心に残ったので記録しておこうと思う。

 

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豊島美術館

画像検索とコンセプトを検索した方が読む人にとって早いだろうけど文で書いてみる。

 

真夏の外から、小さなトンネルのような入り口へ入る。対比で涼しく感じる。

柔らかなシェル構造の、淡い白のひらけた空間の中に入ると、大勢の人が思い思いに地面に寝転んでいる。天井にあいた大きな穴から空が見える。人はおおいけど、みな静かにしているので蝉の声がよく響く。

吊るされた糸は風を可視化するためか、時々揺れている。

 

足元では地面の小さな穴から、水が生まれる。

そこにとどまる水もあれば

近くの水と繋がるものもある。

ころころと転がり、大きな水溜まりに飛び込んでいくものもあれば

隠された穴に吸い込まれていなくなるものもある。

水琴窟のように小さく音を出す穴もあった。

生まれた水は、ゆるりと動くものもあれば、

見えないほどの傾斜によって流れ星のように流れていく水もある。

 

寝転んでひじをついて、延々と水の生まれるところを見ている親子もいたし

昼寝をしている人もいたし

カップルで「あ!今そこから…」と水が生まれるのを喜ぶ人もいた。

 

ところどころ

小さな白い皿、小さな白い丸の置物、がある。

静かな作品だった。

 

(考えたこと)

・床は水をはじく素材でできているので、出てきた水は染み込まず、流れると言うよりも本当に玉になって転がるような感じになる。

本来の自然の水はこんこんと湧き出て川になるか、水玉になってもいつか日差しで蒸発してしまうはずだ。もしくは重力によって上から下へ落ちるはずだ。

だからこの美術館で地面から玉のようになって出てくる水は、生まれているように感じた。だから水が生まれると書いた。

・生命の源というか、本能的に水はとても大事だから、小さな水が生まれてくるのをみるのは本能的な喜びを引き起こすのかなと思った。

・豚骨ラーメンに浮いた油をちまちまと箸でくっつける遊びや、車のガラス窓に流れる雨粒を見る遊びを思い出した。

・小さな水玉は、やがて大きな水溜まりに飛び込んでいくものが多い。重力?表面張力?に耐えられなくなって、玉から形を変えて細長い一筋の線になって流れる水が、大きな水溜まりに合流するのを見ると、なんか死んだ後輪廻転生するためにでっかい池みたいなのに飛び込んでいく魂達みたいなシーンがある漫画を思い出した。手塚治虫の。

・縁側に座って鹿威しの水を見る、という行為は、静と動であれば静だと思っていたけど、この美術館を体験した後ではそれさえも動寄りだなぁ、と思う。

・シェル構造という言葉を初めて知った。大きな貝殻の蓋の下に私はいたのかもしれない。

・真夏の中の日陰、人々は温泉後の休憩所のようにゆったりしているように見えた

 

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②心臓音のアーカイブ

実はそこまで興味がなかったのだけど、行ってみて良かったなと思った。

世界中の人々の心臓の音を録音し、恒久的に保存して聞ける場所である。

 

ドアを開けると、奥に細長く暗い部屋になっている。ドアを閉めると私一人になってしまった。

真ん中あたりに裸の電球がぶら下がっている。

部屋中に響く大きな心臓の音のリズムに合わせて、その裸の電球も点滅する。ひかっているタイミングのみ部屋の全貌が見える。

私が行った時は2011年に録音された日本人男性の心臓の音が流れていた。

 

(考えたこと)

・赤ちゃんがこの部屋に入ったら胎内を思い出すのだろうか

・医者がこの部屋に入ったら「この人不整脈だな」とか思うのかなと思った

・自分の心臓の音は残さなくてもいいけど、自分の子供のものとかなら残してみたいなと思った

・胎内は、真っ暗闇の中の10m先に豆電球が光っている程度の暗さと読んだことがある。こんな感じなんだろうか、と思った

・この広い世界の東のはじの島国の、そのまた小さな島のはじっこに、いろんな世界の人の心臓の音が記録されている。人類が滅亡しても、宇宙の誰かが拾って保管して謎を解いたら面白そう。

 

ジェームズ・タレル 「Backside of the Moon」

体験をアート作品としたもの。ネタバレがあるので今後行く人は読まない方がいいかもしれない。

 

手からの感触だけが頼りの真っ暗な部屋に、 壁伝いで入り、手でベンチを探し当てて座る。

目の前に手を翳しても全くわからないほどの闇。目を開けていても閉じていても変化のないほどの闇。

案内人は言う。「正面をじっと見ていてください。4、5分経つと、何かがあらわれます。」

静かに正面を見て待つ。

私は何か絵や映像が浮かび上がるものだと思っていた。

しかし浮かび上がってきたのは横長の、映画館のスクリーンのような四角だ。そしてその四角の両方の側面の壁にじんわりとした光のライトがついている。

 

案内人は言う。「何か見えてきたでしょうか。実は、この部屋の中の明るさは変化していません。もちろん、正面に見えているものは、徐々に光を強くしたものでもありません。あなた達が部屋に入ってから、ずっと同じ強さの光でそこにあったのです」と。

そして人間の視覚の順応などについて話した後、部屋を歩き回っていいですよ、という。

 

4、5分前までは、自分の手も見えなかった闇、目を閉じても開けても変化のなかったほどの闇、

その中で、自由に歩きまわり、人を避けることができ、ライトが見え、自分の座っていたベンチも見える。

かなり不思議な体験だった。

 

(考えたこと)

・鍾乳洞や深海で暮らす生き物もこんな感じなのかな

・この作品はなんだ、お、おもしろ〜〜〜!

・この作品の案内人になりたい

・タイトルは後で知ったけど、ぴったりだ。この横長のスクリーンの正体も面白かった

 

 

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他にも面白い作品はたくさんあったけど

特に心に残った三つを書き留めておく。

子連れであり、真夏であり、国際芸術祭期間中と言うこともあり、行けなかったところも多くあるので、再トライしたい。

草間彌生の黄色のかぼちゃも昨年台風でどんぶらこと流されて無くなってたので

もういちど行くぞー!

それを信じることによって自分の何が救われているのか

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 この仕事をしていると本当にたくさんの人に出会う。ありがたいことである。

 こないだは90後半のおじいさんが「大事なのは自分に勝つこと。人の話をよく聞くこと。」と繰り返しお話しされていたのがなんとなく心に残っている。その言葉が人生の教訓になるまでにはきっといろいろな経験によって削ぎ落とされ、最終的にシンプルになった言葉が残ったんだろうなと思った。

 

 こないだも一人心に残る人がいた。良い意味ではなく。

 その人はいろいろな話の流れから戦争の話をし始め、戦時中責任をとって自死した人を尊敬すべきだ、日本は戦争をして一時的に植民地を無くした時代があったからすごいことだ、と言った。

 これはもう思想の問題なのでその場ではそうですか、といって流したけれども、帰ってからも繰り返し考えたりしている。

 

 私の考えでは、戦争はそもそも起こしてはならないし、誰かが死を選ぶことに対して「偉い」という感情を持ってはいけないと思っている。

 ただ、上記のような、責任を持って死ぬことは尊敬すべきことだし、戦争によって“助かった人がいた”事実があると考えていれば戦争していい、という考えがある人がいれば、それはその人の変えられない部分なのかもしれないな、と思った。根底の思想が違うから、世界の感じ方は全然違うだろうと。

 

 先日期日前投票を済ませたけど、一定数こういう人たちがいて、戦争も辞さない考えの人たちは必ずいて、その人たちはどの選択肢を選ぶのかというのを知っておかなければならないなと思った。そういう人がトップに立った時、責任の名の下に命が散るのは素晴らしいことだという思想を体現することの恐ろしさがある。

 

 大学生の時、6歳年上の看護師さんと友達になった。宗教の話の流れで、私は宗教に関して細かいことは覚えてないけど、たしか否定的なことを言った。その時友達は「まぁ、でも宗教によって救われる人はいるからね」と言った。自分の考えの浅さに恥ずかしくなったけど、この言葉もずっと残っている。「救われる人はいる」

 

 自分からは荒唐無稽に思えたり、あり得ないことだと思っていることを信じている人たちは、それによって何かしらが救われている。

 

 戦争をすることを何か目的があるなら悪いことではないと思っている人や、責任を持って死ぬ人を尊敬すると考える人は、何かしらが救われているんだろうか。なんでだろう。死ぬことが「自分にも役目があった」と実感できるものだからだろうか。

 命を散らすことが美しいという思想は、私は分からないままだと思う。

 

◼️戦争の本

水滴

慰霊の日にまでに読もうと思ってたけど間に合わなかった。沖縄戦での心残りが形となって、戦後向き合うことになる本。

 

おやすみプンプン(1) (ヤングサンデーコミックス)

物語の本筋とは違うけど、登場人物の一人がとある宗教を強く信じている

救われるってなんだろう

散歩の記録

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仕事終わりに子供を保育園に迎えにいくときはすでに結構疲労困憊なのだけど、

子供の方は体力が有り余っているので家に帰りたがらず、チャリで5分程度の帰り道のはずなのに1時間半とか散歩しながら帰ることになっている。

 

子供が欲望のまま歩くのを見ていると面白い。

 

・行きつけのお地蔵さん(?)

御供物のコップの中を見て「ギュウニュウゴクゴクシテルー!」と喜んだり、赤色の前掛けを見て「カワイイネー」と褒めたりしている。何か物を買ったら、じいちゃんに見せに行くような感覚で帰りしなまたお地蔵さんに「カッタヨー!」と見せに行ってる。

 

・パン屋

パン屋を見つけたら即座に入りたがる。こないだはパン屋に入ったらすぐにトングとトレーを握り、3個のパンを選び、買い、

外のベンチに座り、それぞれ数口ずつ齧って満足し、また同じパン屋に入ろうとしていた。止めたら大変なことになった。

 

・スーパー

教えてないのにスムーズにカートを取って押し始め、おそらく子供なりのこれぞというものをカゴに入れていってた。

もずく、ハッピーターン、太巻、大容量明太子、じゃがりこ

なにを基準に選んでいるのか知りたいなあ。

スーパーから穏便に外に出るためにはアンパンマンチョコを子供に捧げないといけない仕組みになっている。

 

・八百屋さん

初めて子供にトマトを買ってもらった(といってもお金を渡してもらっただけ)ので、子供の中では「トマト屋さん」ということになっている。

八百屋の前を通るたびに「トマト屋さん!」と言って中に入って、八百屋のおじさんに褒めてもらっている。

これまでは、スイカ、きゅうり、トマト、グレープフルーツ、大根、バナナなどを買った。

 

・喫茶店

何かの魅力があるのか、とある喫茶店に入りたがる。40年ほど前からあるらしい。

まだ子供はコーヒーが出るのをじっと待つことができないので、店内で飲食はせず、持ち帰りができるケーキや瓶のジャムなどを買って帰ったりする。

 

・階段が複雑なビル

入り乱れた面白い階段のビルがあって、そこの階段を上り下りする。

上り詰めたところにひっそりと占い屋があった。子供が「ゴメンクダサーイ!!!」と言って入りそうになったので止めた。

 

うどん屋

なるべくここの前は通りたくない。頭の中で冷蔵庫の中の在庫や今日買った野菜などでメニューを考えているのに、子供がうどん屋を発見したが最後「チュルチュルパデル〜!」(うどん食べる)と言って聞かなくなりうどんを食べざるを得なくなる。これまでは2回うどん屋の罠に引っかかった。

 

・ケーキ屋

ケーキ屋も見つけたら入りたがる。まぁケーキ一個くらいなら…とこちらも甘いものに対して甘いので買ってしまう。

 

・酒屋

酒屋も商売上手なので、店先にはお菓子コーナーを設けており、それを発見したが最後必ずお菓子を買わされる。ただこのお菓子を買えばなんとか家に帰る口実に使えるので買っている。

 

・お花屋

覗きはするが、そこまで買うことはない。

 

・公衆電話

見つけたら「もしもし」としたがる。私はホラーが怖いのでどこかに繋がってないかとかちょっと怖くなる。

 

散歩道の選択はその日それぞれだけど、子供は的確に家と反対方向の道を選んでいるので

方向感覚すごいな…と思う。

 

◼️今日の本

子どもの道くさ (居住福祉ブックレット)

これ好き

 

小鳥、来る (単行本)

子供の思考がそのまま流れ込んでくるような文体で不思議な感覚だった

 

気づかなかった落とし物一覧とかも面白いかもな

眠れないモードに入ってしまった、また一週間始まるというのに日曜の夜から夜更かしで先が思いやられる。

 

唐突だけどここを読んでいる人達は脱出ゲームをしたことがあるだろうか。

脱出ゲームにも種類があるだろうけど、私がやったのは何の変哲もない普通の部屋に閉じ込められて、部屋のベッドや棚の上や椅子などいろんな場所を触ったり物を探ったりして、あれこれ組み合わせていくとなんか脱出できるバージョンのことだ。

 

脱出ゲームがクリアできて外に出られると、エンドロールが流れてくる。

その中で、何時間何分でクリアできたのかとか、無駄にベッドの上の枕を叩いてしまった回数だとか、そういうのが表示される。

枕の下に何かあるんじゃないかと思って、大抵の人は何回か触る。しかし何回枕を確認したかなんて無意識なので覚えてないのに、エンドロールでしっかり「15回枕を触りました」とか出てくるわけだ。

 

人生の死ぬ時の走馬灯というか、人生というゲームが終わった後ににエンドロールが流れるといいなと思ってるんだけど、脱出ゲームと同じように、人生の累計の数とかをそこで発表してほしいんだよね。

 

今のところ知りたいのは

私が生きてから死ぬまでの間で

 

何時間何分何秒生きたか

初めて会った人

最後に会った人

言葉を交わした人数

移動した距離(km)

歩いた歩数

食べた米(kg)

よく食べたものランキング

飲んだ水分(L)

私がいたことで助かった人数

何人の人に助けられたのか

蚊に刺された回数

いくら金を使ったか

いくら金を稼いだか

知っている知識の数

総母乳生産量

生理で出た血の量

虹を見た回数

持ち物で何を一番長く持っていたか

購入したものの中で一番高価なもの

何単語喋ったか、聞いたか、書いたか、読んだか

自分が写り込んでしまった写真の展示(観光先で他人の写真に意図せず入った時などの写真)

 

そしてエンドロールの最後で私が今まで出会った人の名前がずら〜っと流れてきてほしい

出会ったの定義は難しいが、目が合った人・ぶつかった人・歩いていてティッシュを配ってくれた人くらいからカウントしてほしい。

たぶん覚えてない人や出会っただけで全く知らん人の名前が99.9%くらいになるんじゃないかと思ってる。

 

最初に出会う人というのは

双子ちゃんとかだったらお腹の中での出会いで兄弟とかになるだろうし、病院で出産すれば母親の前に助産師さんが出会う人になるだろうな。

 

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◼️今日の本

これ読みたいんだよな、5000円弱するから迷っているが150人の人生の断片読ませてもらうなら安いんだろうけども

東京の生活史

 

何度でもおすすめする

これもロシア戦争に関わった女性人生の断片を集めた本

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

物が語る話を聞けるようになったらいいな

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面白さに打ちのめされることは人生でそんなに無いと思うのだけど、先日国立民族学博物館に行ってあまりにも面白くて打ちのめされた。

 

国立民族学博物館は、世界各地のものをこれでもかとかき集めてある博物館だ。

オセアニアの地域から始まり、西回りに地球を進み、最後北海道のアイヌ文化から南下し、最後は沖縄の琉球文化の展示で終了、という流れの順番になっている。

 

世界各地の一部だけを紹介しているだろうにも関わらず圧倒的な物量と情報量、

ガラスで区切られていないため触ろうと思えば触れる距離のものを直に見ることができる展示、

こんなものあるんだという知らないものを見れた時の驚き、

アイヌの家やモンゴルのゲルやガーナの屋台などを実際の大きさで再現しているでかい展示…などなど

あっちを見てもこっちを見ても面白くておろおろしてしまった。

 

ビーズで作られたラブレター、文字を書くよりも長い時間をかけて愛を込めて作るんだろうなとか、

ガーナの愉快な棺桶、私も就活ノート作る時に好きなデザインの棺桶描いとこうかなとか、

魚の皮で作られた服、破れないの?どれくらい丈夫なの?と考えたりとか、

アラビア半島のスパイス入りコーヒー、極浅煎りのコーヒーにスパイスがたくさん入ってるのはどんな味だろうとか、

大漁を祝うための服、そんなのが日本にあっのか知らなかったなとか、

大胆で面白いアフリカ布、どう考えるとそんなユニークな配色と柄ができるんだろうとか…

 

どの展示も面白かったのだけど、日本のハレの日の展示室が圧巻で

まず天井まで届くような大きな展示物に目がひかれ、

そのほかにも細々したものが身近な素材で作られているのを見て昔は近隣の自然から取ってきて作ったんだろうなと思い、

日本内であるににも関わらず知らないお祭りのためにつくられた装束に面白いなと心躍り、

ハレの日を心待ちにしてさまざまなものを用意していた昔の人々の顔が思い浮かび…

 

過去から今までが大きな大きな川の流れとしたら、

国立民族学博物館に置いてあるさまざまな地域や文化の展示品は水の粒みたいなもので、

大きな川を覗きに行った時に水飛沫としてキラキラ飛び出したその粒を間近で見せてもらったような感覚で

 

展示品の背景にある連綿と受け継がれてきたさまざまなものがここに保管されていることの喜びというか

 

もうなんせ楽しかったんよ。

 

そしてみんぱくミュージアムショップに並んでいる本がこれまた全部面白そうで、熟考したら何冊も書いそうなので

「うおおお」って勢いで買った本がこれまたたまらんぐらい面白くて…

 

物一つが語るお話がこんなにも膨らむんだと思ったし、

博物館内はその物が一つだけじゃないので詳しい人であれば物が自然に語りかけてきてものすごくガヤガヤと凄いところなんだろうなと思いました。

 

何ヶ月先になるか分からんけど一人時間ができたら絶対また行くんだ!!

 

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新書862目に見えない世界を歩く (平凡社新書)

これまた面白すぎて「oh 神よ…」と打ちのめされながら読んでる本

「見る」だけで分かった気になってるけど全くそんなことないんだよね。面白い箇所がありすぎて絞れないので読んでほしい、博物館や美術館で働いている人、芸術を生業にしている人など面白いと思う

 

Yokainoshima: Island of Monsters: Japanese Folk Rituals

海外の写真家が日本の祭り?の衣装の写真を撮ったもの 欲しいんよ 欲しいんです

 

地球家族―世界30か国のふつうの暮らし

前も紹介したかもしれん

家の中のものを全部出して撮影した本

日本の家の物の多さが特徴的だった

 

 

 

記憶には残らぬ今日を生きている子にふくませる一匙の粥 俵万智

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仕事では、お食い初めならぬお食い締めに関わることが多くある。

病気や老衰によって「これ以上食べたり飲んだりしたら危険」と評価する仕事をしているのだ。

 

本人に食べる意思が全くないのなら安全を考慮して食事はもう終了としても良心はそこまで痛まないのだけど、

肺の画像が9割真っ白になっていて呼吸もやっとの方が、「それでも食べたい、お願いします」と訴えられると、その人の人生の食事を奪ってしまうことに改めて気付かされ本当に残酷なことをしているなと実感させられる。

 

私の仕事でさえこれなのに、医者や看護師など本当に医療の最前線かつ責任をほぼ全て負うよな仕事につかれている人達の心労はどんなものなのだろう。

 

自分の無力感のようなものに潰されないのだろうか。だからこそ勉強で鎧を作って自分を守るんだろうか。

 

もちろん食事を始めて少しずつ良くなっていく人もたくさんいる。

食べるスピードも量もは健常な方と比べるとゆっくりだし少ないのだけど、良くなっていく過程は嬉しい。

食事介助をしていると、注意障害などがある方は遅々として進まない。小さじ一杯を食べるのに一分以上かかったりもする。

口に含ませて嚥下反射が惹起されるまでの間、その人の顔を見ながら

「この人も赤ちゃんの頃、親にこうやって食べさして貰ったんだろうなぁ、赤ちゃんの頃があったんだなぁ」と不思議な気持ちになる。

 

当たり前なのだけど、毎日多くの患者さんと関わる時に、このことを忘れちゃいけないのだと思った。

どこかで生まれて大切に育てられたこと、その人の人生を歩いてこられたこと、その人の人生に関わること。

もちろん「こんなまずい飯食えん!」と怒鳴られたり、病気のせいで気持ちがうまく話せない・感情失禁によって怒りをぶつけられることも多くあるけど、聖人のような人でありたいわ

 

追記 あまりにも勉強に身が入らんので可愛いシールを買った。勉強できたらシールを日記に貼ることにする

 

◼️

人生最後のご馳走 (幻冬舎文庫)

人の最後の食事をこんなにも暖かく工夫しながら提供出来る病院ってすごいよなぁと思った

 

魚介類と火が私のラッキーアイテムらしいわ

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さて、妙齢の女性はヨガと占いにハマるといったようなのを昔見たことがある。

それを見た時、ヨガにはすでにハマっていたのだが、つい最近面白そうな占いがありお金を払ってしてもらったので、これで妙齢の女性がハマるものコンプリートをした。

 

その占いというのが、その人独自に開発?した分け方をしていて、私はメイン属性:戦士、サブ属性:魔法使いという、なんか偉くかっこいい感じであった。

 

占いの結果は今までにないような面白い結果だったので、時々ふむふむと見返しているわけだけど、

教えてもらった戦士と魔法使いの結果だったら、魔法使いのほうが私に当てはまる気がするなぁ、と感じることが多かった。

 

こういう占いというのは、バーナム効果というやつもあるだろうし、書かれている言葉の中から当てはまるものだけが輝いて見えるのが影響していると思うのだけど、

 

私みたいに形のないスライムのようなもやもやした方針しか持ってない人に対して、

占いが言葉という箱や型を提示して、そのスライムがどんな形なら収まりやすいのかを確認してもらうようなものなのかなぁ、と思った。

色んな「あなたはこういう人です」みたいなのをいくつか提示されて、それぞれに自分のスライムを当てはめてみて「この箱は心地いい」とか「この形は全然ちがう」とかあーだこーだして、少しだけ自己理解を前進させるものなのかな、と。

 

そういう点では元旦にひくおみくじとか好きだし、「まじどーしたらいーかわからーん」と思考停止した時にネットの無料のタロットカードとかして方針を決めるのもまぁありかなと思っている。

 

でもスピリチュアルな話は結構好きなので、そういう占い師の審美眼的なのは本当にあると思っているし、オーラ鑑定とか前世占いとかやってみたいなと思ったりする。

 

 

◼️

コンビニ人間 (文春文庫)

「型があってこそ輝ける」みたいなのが面白い話だった

 

棚からつぶ貝

「大吉が出たら好きな人に告白する…」と決めて、大吉が出るまで何度もおみくじを引くのが面白かった

自分で運を引き寄せるってこういうことなのかな