I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

それを信じることによって自分の何が救われているのか

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 この仕事をしていると本当にたくさんの人に出会う。ありがたいことである。

 こないだは90後半のおじいさんが「大事なのは自分に勝つこと。人の話をよく聞くこと。」と繰り返しお話しされていたのがなんとなく心に残っている。その言葉が人生の教訓になるまでにはきっといろいろな経験によって削ぎ落とされ、最終的にシンプルになった言葉が残ったんだろうなと思った。

 

 こないだも一人心に残る人がいた。良い意味ではなく。

 その人はいろいろな話の流れから戦争の話をし始め、戦時中責任をとって自死した人を尊敬すべきだ、日本は戦争をして一時的に植民地を無くした時代があったからすごいことだ、と言った。

 これはもう思想の問題なのでその場ではそうですか、といって流したけれども、帰ってからも繰り返し考えたりしている。

 

 私の考えでは、戦争はそもそも起こしてはならないし、誰かが死を選ぶことに対して「偉い」という感情を持ってはいけないと思っている。

 ただ、上記のような、責任を持って死ぬことは尊敬すべきことだし、戦争によって“助かった人がいた”事実があると考えていれば戦争していい、という考えがある人がいれば、それはその人の変えられない部分なのかもしれないな、と思った。根底の思想が違うから、世界の感じ方は全然違うだろうと。

 

 先日期日前投票を済ませたけど、一定数こういう人たちがいて、戦争も辞さない考えの人たちは必ずいて、その人たちはどの選択肢を選ぶのかというのを知っておかなければならないなと思った。そういう人がトップに立った時、責任の名の下に命が散るのは素晴らしいことだという思想を体現することの恐ろしさがある。

 

 大学生の時、6歳年上の看護師さんと友達になった。宗教の話の流れで、私は宗教に関して細かいことは覚えてないけど、たしか否定的なことを言った。その時友達は「まぁ、でも宗教によって救われる人はいるからね」と言った。自分の考えの浅さに恥ずかしくなったけど、この言葉もずっと残っている。「救われる人はいる」

 

 自分からは荒唐無稽に思えたり、あり得ないことだと思っていることを信じている人たちは、それによって何かしらが救われている。

 

 戦争をすることを何か目的があるなら悪いことではないと思っている人や、責任を持って死ぬ人を尊敬すると考える人は、何かしらが救われているんだろうか。なんでだろう。死ぬことが「自分にも役目があった」と実感できるものだからだろうか。

 命を散らすことが美しいという思想は、私は分からないままだと思う。

 

◼️戦争の本

水滴

慰霊の日にまでに読もうと思ってたけど間に合わなかった。沖縄戦での心残りが形となって、戦後向き合うことになる本。

 

おやすみプンプン(1) (ヤングサンデーコミックス)

物語の本筋とは違うけど、登場人物の一人がとある宗教を強く信じている

救われるってなんだろう