I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

8月 戦後76年

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8月になって 猛烈にはだしのゲンが読みたくなって、図書館で借りて少しずつ読んでいる。

 

小学生の時分に読んだ感想としては、原爆が落とされた直後のシーンがとても怖かった覚えがあるのだけど、

改めて読んでみると戦時中の世間の考えの異常さとか、原爆投下後の「ピカ」に晒された人たちへの差別とか、長く続く後遺症とか、戦争を賛美していた人たちが戦後掌を返して戦争はいけないことだったとかぬかしたりとか、恐ろしいシーンばかりが詰め込まれているなと思った。

 

「ひとにぎりの金持ちが儲けるため国民のわしらになにひとつ相談もなく勝手にはじめたのだ」とか

「戦争をおこしたやつはわるいがその戦争に協力してありがたがる国民ひとりひとりもわるいんじゃ」とか

「戦争」の部分を別の単語に置き換えた時に、自分も悪いことに加担していないのか?と考えさせられるなと思った。

 

戦争の話で言えば、

曽祖母が戦時中栄養が足りず、子供のために栄養があるうなぎを食べさせたけど亡くなってしまって、その後うなぎが嫌いで食べられなくなってしまった話を90歳を超えても辛そうにしていたし

 

祖母は卵が一つ手に入ったから、たくさんの兄弟でその卵を分けて食べたこと、ずっとずっとひもじかったことを話していたし

 

祖父はシベリヤに送られて死体が凍っている様を見たり、極寒の中うすい毛布しかないから誰かとくっついて寒さをしのいだというし

 

ほんとになんで戦争なんかしなきゃいけなかったんだろうか、どうして戦争したい人達だけで無人島でやってくれないんだろうか、どうして国民全員を巻き込んだのか、とか

考えのまとまらないままこの歳まできてしまっと思います

 

祖父はいわゆる戦争の途中でケガか病気かをして戦線離脱をしたことから生き延びることができたのだとぽつりと話していた。まるで戦線離脱したことが恥ずかしいかのように話していた。助かって良かったと思うのに。

 

高校の時仲良かった友達のじいちゃんも体が弱すぎてそもそも戦争に行けなかったから助かったんだよー、あはは、みたいな話してた時があって

 

世間の波というか濁流というかに上手く乗れなかったから生き延びたという恥ずかしさもあるんだろうかと思った

生きて良かったのに なぜ命を捨てることを美化するようなことができたんだろうか

 

私は絶対戦争反対なのだけど、いわゆる思想の自由が保障されているから戦争を賛美する人達に説得はできないのかな、とか

女性への暴行表現があるような漫画は絶対いやだけど、表現の自由があるからそれは守られるべきなんだろうか、とか

こういった曖昧な考えのままいると

世間の波にいつのまにか飲まれてしまうのかなぁと思ったりもします

 

コロナ禍でのオリンピック強行に関しても

反対している人たちがたくさんいるのにテレビではややお祝いムードのように放送されていたり、反対意見があっても強行していたり、「コロナに打ち勝つ」みたいな話をしていたり

戦争強行への練習みたいな感じがしました

 

そして私も、オリンピックは反対だったのだけど、オリンピックの開会式の入場で、たくさんの国の人たちを見れて少し嬉しかったのもあり、自分のアンビバレントな感情に悔しさを覚えました

 

⬛︎戦争に関係する本

この世界の片隅に 上

戦争の中の日常 あまりにも悲しい

 

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

原爆史と言えるのだろか

 

二十四の瞳 (角川文庫)

 

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)