I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

異国の地で病院に行くこと

病院の問診票の既往歴では必ず「喘息」を書くようにしている。

 

喘息は気管支の粘膜が腫れるため、空気の通り道が細くなり、思うように息ができず本当に死ぬかと思うぐらい息苦しい。

 

大人になって病院で働くようになり、SpO2の値などを知ると、当時の息苦しさがまた別の視点で理解できる。

 

トイレまでの短い距離を歩くだけでも全力疾走したあとよりも苦しいし、横になると息がしにくくなるため、枕を抱きかかえて前屈みに座って夜をやり過ごしていた。

 

小さい頃は夜中に喘息発作をよく起こし、母親に病院に連れていってもらっていた。昼間とは全然違う夜中の、静かで人のほとんどいない処置室で、ごぽごぽと音のする吸入器の前に座り、変な匂いのする蒸気を朦朧としながらただただ吸っていた。

 

小さい頃頻繁に起こしていた喘息も、大人になってからはほとんど無いため、いわゆる「小児喘息」であったと思う。

 

問診票に喘息と書くと、「最後に喘息発作があったのはいつですか」と聞かれる。それはフィジーに短期留学にいってしばらくした時のことである。

 

大人になって喘息発作がほとんどなかったため、油断して吸入なんか持っていっていなかった。

ある日突然発作が起こり、ベッドから立ち上がれなくなったのだ。ひどい喘息発作で息ができないし、薬もないし、誰にどうやって助けを求めればいいのか分からなかった。

 

大人になって、1人の時に具合が悪くなった人なら分かると思うのだけど、

「一番しんどい時には病院に行けない」というのがある。病院に行くことに充てられるエネルギーなんか無く、ただ生き延びるためだけにエネルギーを傾けないといけない時期があるのだ。

 

横になる・トイレに行く・水分を摂るだけの時間をやり過ごして、数日たってからようやく少し動けるようになり、バスに乗って病院に行ったのだった。

 

たまたま同じ寮の人も別の体調不良で病院に行くというので、一緒に行った。2人でバスに乗りながら、英語でどう症状を伝えるか辞書など見ながらメモして行った。

 

ついた先の病院はインド人の先生で無愛想で、私が伝える症状がちゃんと伝わってるのかどうかよく分からないままであった。

さんざん言葉で伝えたあと、念のため書いてきたメモも渡したが、反応は変わらなかった。

そんなもんだったのかもしれない。

 

2人で病院を出て薬を貰った写真が下記のものである。

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緑とピンク…すごい…

 

一緒に行った体調不良の人は、服飾系の学校に行っているという前衛的なファッションのイケイケのパンクロックな感じの人だったのだけど、その人の薬のカプセルは黒と赤であった。

「イメージカラーなのかもしれないね」などと笑った思い出がある。

 

まぁ病院に行くエネルギーが出てきてから病院に行ったので、すぐに治った記憶がある。

この可愛い嘘みたいな薬のおかげか自然治癒なのかは知るよしもない。

 

海外に行く時は保険に必ず入っていたけど、自分の体はなめていた。何かしら病気ある人は、長期滞在の時には昔の病気の薬も念のため持っていくことをお勧めする。

 

最近友達と海外の病院の体験談など話していて、そういえばそんなことあったなあ、と思ったのであった。

 

⬛︎病院の本はあまり読んだことないな…

症状を優しく聞いてくれる天使のような看護師さん達ありがとう。

働きはじめてからは看護師さん達のメンタルを鎧にしていかないと太刀打ちできない感じを知ることができた。

これも読んでみたい本。

ズルいくらいに1年目を乗り切る看護技術

 

すいすい読める面白い本

神様のカルテ (小学館文庫)