I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

本能的恐怖

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大学のとある先生が言っていた。

青は死の色、と。その後、海の話を色々していたけど、細かいことは忘れてしまった。

 

「死」とまでは行かないけど、本能的に「怖い」と思ったことはいくつかある。

 

主に水に関するものが多い。

 

一つ目は、小さい頃プールで溺れかけた話だ。

何かの拍子に仰向けに沈んでしまった。めちゃめちゃ浅いプールだ。その時は、泡が少しずつ銀色の水面に向かって上がって行くのが見えたのを覚えている。

今思い出しても「溺れている」という感覚はなく、綺麗だな、という感想だった。

その後すぐにゆらゆら水面が歪んで爺ちゃんが引き上げてくれたので事なきを得た。

 

大人になって知った事だが、静かに溺れていることを「本能的溺水反応」というらしい。溺れている感覚はなかったが、たぶん溺れていたのだと思う。

 

二つ目は、安全な状況下で、ディープダイビングで感じたことである。

インストラクターの後ろにつき、38m超える深さまで潜った。

今までは、20m程度の深さまでしか潜ったことがなかったので、さらに20m近く潜るとなると倍近くになり、やはり感覚は違うのだ。

 

沈めば沈むほど、かすかに水温が冷たくなる。明るさも徐々に暗くなる。

上を見上げると、水面ははるか上のほうだ。

 

我々の生きる陸から、40m離れただけで、「怖い」と感じたのだ。

(この世にはタンクなしで100m潜る超人もいるけどさ!)

 

40mはビルでいうと10階程度の距離がある。

ここで何かあっても、助けは来にくいんだろうな、という思いがあった。

陸路で40mなんてお茶の子さいさいだが、深さになると底知れぬ恐怖があった。

 

3つ目は、カナダで、一人で1時間ほど雪の積もった山を、小さな穏やかな川ぞいに歩いて行ったときだ。

 

川は綺麗でちょろちょろ流れていた。川の上流に湖があるというので、行ってみたのだった。

川の音と、私の呼吸の音、足音ぐらいしかなく、

色も木の茶色、川底の茶色、空はグレー、その他は雪の白色だけだった。

 

シンプルな世界の中で、1人ざくざく上まで登っていったのだった。

日本から遠く離れた、カナダの都心からもずいぶん離れた辺鄙ななだらかな山を、

もしここで死んでも誰にも見つからないな、という気持ちで登った。

 

めちゃめちゃに大袈裟だが、絶対に死なずに戻ろう、とだけ思っていた。

 

4つ目は、ど田舎に住んでいたとき、真夜中2時位に、一人で歩いて帰ったときだ。

真っ暗で、全員人間も動物も、畑も山も眠っているような中、とても怖いもんだから家まで走って帰ったのを覚えている。

もし物陰に悪い人がいたら、たぶんなす術なく私は殺されるだろうという気持ちだった。

今思えばタクシー使えよ、という話だ。

 

私が本能的に怖かったのはこの程度だ。

水、冬、闇。人間も動物だからこのへんが怖いんだろうな。

 

赤ちゃんが寝る前に泣くのも、寝に向かう感覚が死ぬ感覚と似ていて、それに抗うため泣いている、と聞いたことがある。

その時大人ができるのは、大丈夫だよ、という声かけと、暖かくしてあげることだけかもしれない。

 

死とはなんぞやを感じる本

かないくん (ほぼにちの絵本)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夜と霧 新版

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)