I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

柿と銀杏

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迷い込んだ人がたまたま読んでくれているのか、ちょっと覗いてすぐ閉じているのかわからないこのブログ、需要はないけど、書きたいのに書けない、というのが続いている。

 

今日は不意に思い出した柿と銀杏の話を書こうと思う。

 

最近母に柿をもらった。

実家の庭にある柿が、今年はかなりなっているらしい。

くれたはいいものの、「渋柿だから、しっかり熟れたのを確認して、剥いた時に黒いゴマができてたら食べられるよ!」とのこと。

そんな難しいことを。アボガドとかと一緒で、美味しい食べごろを見極めて食べないといけないのが難しいなと思う。

 

最近はその柿を時々触って確認しているけど結局分からない。

 

柿をもらったらやりたいレシピが二つあるのだけど、

ひとつは柿に少しレモン汁を垂らすこと、

ふたつめはサラダにすることである。

どちらもTwitterで流れてきたやつで、試したいものである。

 

柿にレモンを絞ると、爽やかさがくわわってとても美味しいらしい。こないだ柿があったタイミングではレモンがなくてできなかった。

普通の家はレモンを常備しているものなのだろうか。

 

柿のサラダとは、柿とブッラータチーズを切って、それにくるみを砕いて振りかけて、オリーブオイルと塩をかけるというもの。

レシピの写真ではミントの葉も乗っていた。

普通の家は、柿があるタイミングで、ブッラータチーズとくるみとミントが家に常備してあるのだろうか。

 

試したいこの二つのレシピは、食材が一堂に会しないのでなかなかできないものである。

気長に待とう。死ぬまでにできるだろうか。笑

 

渋柿の話だけど、前もしたかもしれないけど、一度食べたことがある。

小学生の時に、祖父が干し柿を作る準備を眺めていたところ、「食べてみる?」と言われ渋柿を渡された。

甘いもんだとおもってがぶりと噛んでしまったのだけど、これがまぁ渋い。

英語の"ewww"という感じで、舌と口蓋がじゅわっと縮むようなまずさのことを渋いというのだなと思った。

今思えばいい経験だったと思う。

あの口の中が縮む感覚があるので、目の前にある渋柿が食べごろなのか試す気にはなれない。

 

柿で続いて思い出したのは、銀杏である。

私の祖父母の家は熊本県庁のすぐ近くにある。熊本県庁の前の広場には、肥後54万石にちなんで54本のイチョウの木が並んでいる。

全ての木が黄色になるとそれは見事で、たぶんインスタで検索したらたくさん写真があるんじゃないかと思う。

 

小学校の帰り道、少しだけそこに寄り道したりしていたのだけど、

時期になるとよくお婆ちゃんやおじいちゃんがビニール袋を片手に銀杏の実を拾っていた。

私の祖母も、よく日の当たる庭の水道で、でっかいタライにたくさんの銀杏の実をつけてふやかしていた。

 

渋柿で干し柿を作ったり、時期になったら銀杏を拾って食べたり、なんだか良いなぁ、と思う。ちゃんとそういうのは代々伝わっていくのかなぁ。

繋がっていくと良いなと思う。

 

⬛︎

秋の本

秋の瞳

表紙が紅葉してるのはこれかな。

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

 

「美味しいものを食べるためには、すべて、ころあいこそが大事」と日々を大切にしてるのがこの本。これはまた読みたいなぁ。

わたしの台所 (光文社文庫)