I swam in the ocean

自分の中の何かしらのアンソロジーみたいなものです

赤ちゃんとヨガと瞑想

私はいつも適当マンなので、今日の話は読み流してもらっていいのですけど、瞑想って心に良いと言うではありませんか。

瞑想とは、心を落ち着けて自己と向き合い、今の自身の心がどう感じているか知ることらしいのですが、とてもお手軽にできて、いろいろ良い効果があるようです。

 

人は、というか私は、過去のことにはくよくよしがちで、未来のことには不安を覚えてばかりいます。

生きているのは「今だけ」なのに、です。

あたふたしたり、不安になったりするのは、それをやらかしている最中ぐらいで本当は良いと思うんです。

我々も動物なので、学習しミスを避けるために、脳が勝手にやらかしたことを繰り返してしまう、とは思うのですが、それが心を苦しめちゃうのよね、やになっちゃう。

 

瞑想によって、今の瞬間に集中すれば、未来への不安と過去の後悔から解放されるのが良い効果を生む1つの要因なのかなと思うのです。

 

そして、私は瞑想はしたことはありませんが、笑

瞑想と近いのではないか、と思ったことがあります。それが赤ちゃんとヨガです。

 

姪っ子が生まれて、3回ほど会いに行きました。新生児は、寝る、乳を飲む、泣く、排泄する、うごうごする、等生き方がとてもシンプルで、

抱っこしている間は私の心は完全に虚無、もしくは「可愛い」という感情のみになります。

 

私は母親では無いので、「あんまり飲まないな…栄養取れてるかな」とか、「全然寝ない…」などという不安や疲れが無い立場で関われているのが大きいかもしれませんが、

哺乳瓶から徐々に口に吸い込まれていくミルクの水位を見たり、膝に乗せて「お!?寝るか!?お?踏ん張って起きようとしてるぞ!?」とか、どこを見ているか分からない黒目がちな目を覗き込んで何考えているんだろう、と思うだけで考えが満たされます。

そこには不安も後悔もなく、今に集中しているので、瞑想に近いのかな、と思います。

 

(世の保護者はきっと責任もあるので不安も後悔もいろいろあるとは思います、子育てお疲れ様ですありがとう)

 

ヨガもそんな感じで、やってる最中は「うぐっこの体勢は…もってあと5秒…足が限界…」と思うこともありますが、まあ無心ですることができます。

(私が通ってたヨガの所は、インストラクターがゴリゴリのマッチョマンで、声はとても優しくて、どんなにきついポーズもピタッと静止するすごい人だった)

最後のシャバーサナと呼ばれる「屍のポーズ」で大の字に寝そべったときは本当に心地よいです。

あのときは、たぶん瞑想に近いんじゃないかなーと思います。

 

シャバーサナをしている時は、私はだいたいアンリ・ルソーの『眠るジプシー女』の絵が思い浮かびます。

 

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明るい月夜の晩に、砂に音を吸われて、広い音だけがする砂漠の真ん中で、疲れて眠る、という感覚。寝ているのでライオンには気づかないけど、たぶん彼女は今目覚めてもライオンを怖がらないのではないか、と。

 

ヨガの疲れが程よく加味されて、とても気持ちいいんだよなー。あのまま自動でシャワーを浴びせられてそのまま布団に連行されたいほど。

 

新しい仕事を始めたもんで、ここ一年はヨガをやる心の余裕が無かったので、またやりたいなーと思っているところです。

 

おしまい。

 

「今だけを見て生きる」みたいなのが似てる本

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

どんな話か忘れたけどアンリルソーが出てた本

楽園のカンヴァス (新潮文庫)